ギャラリー・おらんうーたん (おらんうーたん代表 宍戸千鶴)
鉄の造形スタジオ 上野玄起(副代表)
思わず手が伸びるオランウータンの写真表紙。「それがマップ第一号ですよ」。副代表の上野玄起さんが語り始める。
「30代の頃一念発起して鉄造形で食べていこうと大阪から長坂に移住しました。そうしたら、いろんなジャンルの作家が何人もいることを知ったんです。それなら自分たちの作品が一堂に見られるアート&クラフトセンターをつくりたい、と思うようになりました」。
2002年10月、数人のクラフト作家たちがフィリア美術館に集まった。だが資金も場所もない。そこで発想を転換し、各工房の位置を示す「八ヶ岳広域版のクラフトマップ」を考えた。北杜市合併前の当時、複数町村にまたがる観光マップはなく、 それだけでも画期的だった。呼びかけに応じて、130以上の施設が地図掲載に参加。 行政主導でも観光協会事業でもない、個人のゆるいつながりから生まれた地図の愛称は「おらんうーたん」と決まった。「森の中で手仕事しながら暮らす人という意味で。 この地図はさながら生息分布図ですね。絶滅危惧種のオランウータンに対して私たちは今後どう生き残るのか、そんなストーリーもおもしろいなと」。小淵沢に住まいがある縁で、動物写真家の岩合光昭さんがオランウータンの写真を使用させてくれた。表面は各工房の紹介、裏面は大きな地図、という今につながるスタイルが生まれた。
会の代表・宍戸千鶴さんは、夫と始めたペンションに併設されていた図書館を 「何かに使えないか」と考えていた。田舎暮らし雑誌の発行人佐藤彰啓さんや、陶芸家 村岡修二・由梨さん夫妻に相談したところ、おらんうーたんとつないでもらう。ここで上野さんが当初描いていた「センター」構想が現実化する。作家たちの手づくりによる内装改修が始まった。「棚を作ったり照明をつけたり、皆さんものづくりのプロだから、アイデアが豊富。それもとても楽しそうに作業されるので、私もワクワクしました」。 2003年、おらんうーたん作家た ちの常設展示場「ギャラリーおらんうーたん」 が誕生。翌年、各工房を開放して見学・体験・ 販売を受け入れる「オープンアトリエ」を数軒の作家が同時開催。2005年には 21の工房が参加する一大イベントに。また、 知り合った異素材の作家同士でグループ展を開催するなど横のつながりも広がっていった。
イベントが増えるにしたがって、作家の本来のものづくりの時間が別の作業に割かれるのは自明のこと。「おらんうーたん」が会として充実してくるとメンバー同士の考えの多様化や温度差も生まれる。副代表松田広昭さんが会に参加した10年目あたりはちょうどそんな頃だった。松田さんは元プロダクトデザイナー。扱う素材は主に木だが、ガラス、布、モジュールなども取り入れながら個性的なインテリア雑貨を手がける。そのせいか、人の間にたつ調整がうまい。「いろんなジャンルが集まり、受け入れてくれるこの場所は、新しいものが生まれる可能性を秘めており、新しい産業になり得ます。結集すればものすごい地域力になると思いました。みんなでつながる思いはあった方がいい」。実際、愛称としての「おらんうーたん」が聞かれなくなる一方で、グループ展やコラボ作品が、この時期多数生まれている。本来の作家魂が培われつつあった。
2020年からのコロナ禍は対人活動も作家同士の交流も阻むことになった。インターネットでの販売が定着してきたとはいえ、顔が見えないことは逆にそれを乞う意識を生んだことも確かだ。「できあがった、 きれいな部分だけじゃない工房のどろくささを感じて欲しい。そこから生活を豊かにする自分だけのクラフトを見つけて欲しいのです」。インバウンドや都会からの訪問者が激減した代わりに、地元との交流を大切に思えるようになったと松田さんは言う。 「これからはアートやクラフトが社会貢献の一端を担うことも可能。地域木材を使った市内の子どもたちへのおもちゃづくりや、高齢者対象のワークショップなどもできるといいと思っています」。移住者の多いおらんうーたんの中でも珍しい、地元出身の石作家、副代表の伊藤和智さんは、外と内の両方の目でこの地の魅力を感じている。 「こんな場所は他にないと、地元の人が一番 誇ってほしい」。
最後に敢えて聞いてみた。なぜ八ヶ岳でものづくりをするのか。答えは1万年以上前から出ていると上野さんは言う。「ここは縄文の聖地、古来よりクラフトマンの住む場所だった。ここではものづくりせずにはいられないし、ものづくりをしたい人はこの地を求めるDNAを持っているんです」。
身近なところに棲むつくり手たち。今年もまた出会いに行ってみよう。
なないろ編集室
TEL.0551-30-7607
〒407-0051 山梨県韮崎市円野町上円井1870-1
https://www.nanairo-web.jp/